今にも崩れそうな本棚の下で

漫画の感想を書いたり書かなかったりします。

ワールドトリガー菊地原士郎の魅力

今回は、ワールドトリガーの菊地原士郎に着目してみました。

毒舌、風間好き、実は優しいところもある(多分)、と魅力いっぱいな菊地原の登場シーンを見ていきましょう。

(以下、全体的にワールドトリガーの部分的なネタバレを含んでいます。)

 

 

邂逅編の菊地原

 

風間隊は遠征中のため出番なし。

 

黒トリガー争奪戦編の菊地原

 

トップチームが帰還し、玉狛支部を急襲。

ここで菊地原が初登場します。

はじめてのセリフは

「風間さん こいつら無視して黒トリガー奪りにいっちゃダメなんですか?うちの隊だけでも」。

この提案はあっさり風間に却下されます。

まあ状況説明用ですね。

「こいつら」呼ばわりしてるあたり、初登場時から偉そうです。

 

この後、描写もされない間に迅に斬られたようで、次のシーンでは、頬からトリオンが漏出していました。

(「どんどん下がりますね 黒トリガーのくせに」のセリフのところ)。

 

その後、再度、迅を無視して玉狛支部に直行することを進言、風間もこれを受け入れます。

しかし、次のシーン、風刃を起動した迅にあっさり首チョンパされてしまうのでした。

最期の言葉は「え…」。

風間と太刀川は一応反応できているのに、菊地原は反応できず。

黒トリガー争奪戦編初のベイルアウトという不名誉を負ってしまうのでした。

ここまでだと、単に偉そうなわりに大したことないやつ、という印象です。

 

ボーダー入隊編の菊地原

 

対近界民戦闘訓練で、0.6秒、0.4秒という新記録を叩き出す遊真。

これを見ていた風間は「なるほど 確かに使えそうなやつだ」と褒め始めます。

これに対して、菊地原は、「そうですか? 誰だって慣れればあのくらい…」とブツブツ。

相変わらずの毒突き方ですが、風間に褒められた遊真への嫉妬だと思うとかわいいですね。

ここで、菊地原の入隊時ポイントは2800だったことが明かされます。

入隊時ポイントは、仮入隊のときに高い素質が認められた者に上乗せされるもの。

菊地原のポイントは、新三バカを超える数値であることから、A級隊員のすごさが示されるシーンです。

歌川が2950、木虎が3600なので、彼らよりはやや低め。

仮入隊時は、まだサイドエフェクトの強みを発揮できていなかったのかもしれません。

 

ちなみに、4巻の裏表紙は、当真・出水・菊地原・歌川の紹介でした。

菊地原のコピーは、「黒トリ危機一髪」。

実力者だし、ハズれたことは言ってないのに、首チョンパされたせいでアホの子扱いされることになったアホの子だそう。

歌川の紹介にも菊地原が登場します。

 

その次の登場シーンは、風間vs修。

あっさり負ける修を見て「バカだなー」「勝負になんないよ」と発言しています。

風間の強さに絶大な信頼を寄せてるんでしょうねー。

 

さらに連敗する修。

菊地原は、「普っ通すぎ なんであんなやつに絡んでるんだろ 風間さん」とぶつぶつ。

風間に絡まれる修がうらやましいんでしょうか?

 

ラスト一戦では、「ムリムリ また瞬殺で終わりだよ」との発言。

この後、修が引き分けをもぎ取るまでのフリになっています。

 

引き分け後には、「あんなのと引き分けちゃダメですよ」とまたブツブツ。

「僕なら100回戦って100回勝てる」と自信を見せます。

初読の人からすると、ここまで、菊地原は、首チョンパされただけの人なんですが、すごい自信です…。

この後、「もうしっかりしてくださいよ 風間さん」と声をかける菊地原。

風間の強さを知っているだけに、24勝1分けだとしても、修相手に引き分けはして欲しくなかったのでしょう。

 

大規模侵攻編の菊地原

 

大規模侵攻編では、菊地原の過去が明かされることになりました。

強化聴覚のサイドエフェクトを得たものの、他のボーダー隊員からは評価の低かった菊地原。

しかし、風間のスカウトによって風間隊に入隊、カメレオンによるステルス戦闘が流行する中、風間隊は菊地原のおかげで連戦連勝するのでした。

このときの恩もあって、菊地原は、風間のことを尊敬しているのでしょう。

エネドラが風間を倒して馬鹿にすると、珍しく冷静さを欠くのでした。

その後、エネドラは本部へと侵入。

忍田の活躍も大きいですが、菊地原は、歌川とともにエネドラを倒し、きっちり風間の仇をとることができたのでした。

最初のエネドラとの遭遇時、菊地原と歌川が、自主的に撤退していなければ勝てなかったわけで、「逃げ」も一つの戦略になるワールドトリガーを象徴するバトルでした。

※当初、「自主的にベイルアウト」と書いていましたが、コメントでご指摘を受けて修正しました。

 

B級ランク戦(ROUND1〜4)での菊地原

 

ROUND1(吉里隊、間宮隊)、ROUND2(荒船隊、諏訪隊)では出番なし。

ROUND2後のシーン(92話)で、菊地原と宇佐美がからみます。

「玉狛から寝返ったうらぎりものがいるぞー」「ちょっと太ったよね」などと宇佐美に言って絞められる菊地原。

菊地原がこういうことやりとりができるのは、元風間隊の宇佐美ならではなんでしょうねー。

その後、「単品でまともに戦える駒がクガしかいないんじゃ 結果B級止まりでしょ クガがやられたら終わりなんだから」と辛辣な意見を述べています。

厳しいようですが、玉狛第2の問題点を鋭く指摘したアドバイスともいえるでしょう。

ROUND3(鈴鳴第1(来馬隊)、那須隊)では、出番なし、と見せかけて、村上鋼の「今までの強敵との戦いの経験が全部乗ってるからな」のシーンで背景に登場。

「強敵」にいれてもらえているのでした。

ROUND3後、ヒュースが本部に呼ばれた際に菊地原も同席。

ヒュースの心音を聞く大役を果たしました。

ハンターハンターでいうセンリツみたいな感じですね。

ヒュースの件が終わると、また修に対して、空閑頼みの試合だったことを指摘します。

実力で点が獲れないんしゃ先がない、という菊地原に、あっさり同意する修。

菊地原は、意外そうな表情を見せるのでした。

自分が自信過剰気味なだけに、謙虚な修が新鮮なんでしょうか。

その後、次の試合は風間さんが解説をするから風間さんをがっかりさせないようにと言う菊地原。

どれだけ風間のことを好きなんでしょうか。

この後の時枝の心の声で、菊地原が風間隊以外の人と一対一ではあんまり話さないことが発覚します。

ROUND4(東隊、影浦隊、二宮隊)は出番なしでした。

 

ガロプラ編での菊地原

 

出番は少ないですが、藁の兵(セルヴィトラ)相手に耳を使って本物を見分けた菊地原。

地味に那須をサポートしました。

 

B級ランク戦(ROUND5、ROUND6)での菊地原

 

ROUND5(柿崎隊、香取隊)、ROUND6(王子隊、生駒隊)では出番なし。

人気投票では、順位がアップして20位でした。

 

今後の菊地原

 

風間隊なので、まだ出番はあるとは思いますが、「玉狛第二の弱点を指摘する」という役割は、他のキャラでも代替できるようになってきてるので、戦闘シーン以外ではそんなに出番は増えないかもしれませんね。

まだ表紙になっていないので、表紙に登場してほしいところです。

 

以上、菊地原の登場シーンのおさらいでした。

興味があれば、菊地原に注目してワールドトリガーを読み直してみてください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボディビルダーから還暦超えまで!変わり種の魔法少女マンガ9作品

今回は、魔法少女モノのパロディ・変わり種的なマンガをまとめて紹介します!

 

魔法少女育成計画遠藤浅蜊マルイノ江戸屋ぽち

 

魔法少女による能力バトル・デスゲームもの。

原作はライトノベルです。

何も知らずに魔法少女になった少女たちが、マスコットキャラの策略で、過酷な運命に巻き込まれる…というところは、まどかマギカと似ていますね。

能力バトルとしては、単なるパワーバトルではなくて非常に好みです。

ただ、展開が早すぎるきらいがあるので、もう少しじっくり描いてくれてもよかったかなー、と思います。

 

魔法少女プリティ☆ベルKAKERU

 

35歳男性のボディビルダーが魔法少女に。

男性の「魔法少女」というのは、語義矛盾みたいなものなので、本来、とても斬新な設定なはずですが、今日では、そこまで珍しいものではありません。

しかし、男性といっても、見た目が女性的だったり、爽やか系イケメンだったりするキャラが多い中、ここまで見た目が濃い男性が魔法少女になるケースは珍しいでしょう。

設定の出オチ感はかなり強いです。

しかし、21巻もストーリーが続いていることが示すように、出オチだけでは終わりません。

政治・経済・軍事色がときどき出てくるのも特徴の一つ。

作者の思想が前面に出ているようなところもあるのでそこは好みが分かれるところかも。

成人向け漫画も描いている作者らしく、サービスシーンも豊富です。

個人的には、やっぱり序盤の衝撃がピークかな、という気はします。

政治ネタはこの設定のもとでやる必要性がないというかなんというか…。

 

魔法少女・オブ・ジ・エンド佐藤健太郎

 

魔法少女モノのスプラッター・パニックホラー。

魔法少女が「まじかるー」なんて言いながら殺しにかかってきます。

魔法少女に殺されると、その被害者もまた魔法少女になる、というところはゾンビ的。

一時期、キャラがバタバタ死んでいくタイプの漫画が流行りましたが、この漫画では、そういうタイプの漫画の中でも特に人がどんどん死んで行きます。

そこら辺は、好みが分かれるところでしょうか。

ストーリーは、途中で意外な展開を見せ、現在、連載中のストーリーは最終章を迎えています。

こういうタイプの漫画は、序盤の「この漫画はこんな展開にしちゃってこの先どうするんだ…」というあたりが一番面白い気がしますね。

 

魔法少女サイト(佐藤健太郎

 

こちらも魔法少女・オブ・ジ・エンドと同じ作者の作品。

 不幸な境遇にあった子たちが魔法少女になるも、それにはどうやら裏があってデスゲームの様相に…というストーリー。

最近では、あんまり新しさは感じませんね。

魔法少女やステッキにバリエーションがあったり、中盤からの展開には独自性があるところです。

 

居酒屋魔法少女よだれとなみだ(3キログラム)

 

魔法少女になって13年、30歳近くになった魔法少女の「よだれ」と「なみだ」。

強くなり過ぎた彼女達が居酒屋で管を巻く漫画。

全8話でさくっと読める上に面白いです。

居酒屋魔法少女よだれとなみだ

 

魔法少女 俺(毛魂一直線)

 

女の子が変身すると、イケメン魔法少女になる設定。

ギャグ寄りですが、感動要素もあり。

 

俺とヒーローと魔法少女(九段そごう)

 

ヒーローに憧れていたハヤト。

ハヤトは、ヒーローの力を手に入れたものの、変身すると魔法少女ななってしまうのだった…。

元が爽やかイケメンなので、プリティベルほどのギャップはないですが、

 

魔法少女デス☆ピサロ(凸ノ)

 

「処女をこじらせた上に性根の歪んだ」(作中の表現です)腐女子魔法少女に…?

 マスコットキャラがハダカデバネズミだったりするところがいちいちツボです。

お暇つぶし漫画 「 魔法少女デス☆ピサロ 」 | オモコロ

 

魔法少女サン&ムーン〜推定62歳〜(サメマチオ)

 

かつて魔法少女だった推定62歳の「かず子」と「芳江」の物語。

魔法少女がアラサーくらいになった姿を描くのは、例がありますが、ここまで高齢となるとかなり斬新なものを感じます。

(上記の他の作品の中にも一つ、高齢女性の魔法少女は登場しますが、あくまで脇役。)

今後に期待したい作品です。

魔法少女サン&ムーン~推定62歳~ / サメマチオ / まんがライフWIN

 

その他

 

以上に挙げた以外の魔法少女マンガというと、「魔法少女なんてもういいですから」、「魔法少女さん」、「魔法主婦マジカルミュー」、「真実の魔法少女」「魔法の契約 いちご☆ぷろみす」などがありますね。

 

魔法少女パロディが生まれる背景

 

なぜこんなに魔法少女を下敷き又はパロディにしたような作品が多いのでしょうか?

一つは、多くの読者が「魔法少女」と言われると、フリフリの衣装、変身、マスコットキャラなどを想起できるようにイメージが共有されていて、パロディの土台ができていることがあるでしょう。

また、魔法少女まどか☆マギカのヒットで、魔法少女モノでダークな内容を展開する、というフォロワー的な作品が増えたということもありそうです。

 

以上、変わり種魔法少女マンガの紹介でした。

 

 

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マンガルーでマンガルーを紹介する

 ブログやTwitterで比較的自由にマンガの画像を使えるサービス「マンガルー」に登録をしてみたので、さっそくこれを使って記事を書いてみたいと思います。

 

www.mangaloo.jp

 

せっかくなので、マンガルーを使ってマンガルーのサービスを紹介しましょう。

 

一般的に、マンガのコマの画像をブログ等で無断で使うことには、著作権法上の問題があります。

他方、著作権法において「引用」が認められており、その要件を満たせばマンガの画像を貼ることは可能です。

そのことについて以前書いた記事はこちら。

kido-ari.hatenablog.com

 

もっとも、引用の要件の判断は簡単ではありません。

そもそも、裁判例においても、確固たる基準が確立されているわけではない上、最終的には個別事例の判断にならざるを得ないからです。

 一般のブロガーが、安全マージンを取らないで、引用の要件を適切に判断するのは困難でしょう。

 こうなるのは必至なわけです。

 

かといって、何も考えずにマンガの画像を貼り付けるわけにはいきません。

引用の要件を満たさない画像の貼り付けは、著作権法違反。

著作権者が告訴すると、10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金に処せられる場合があります。

 

 

その点、 このマンガルーを使えば、引用の要件など難しいことを考えずに、マンガの画像を貼れてしまうのです!

 

 今までは、いちいち引用の要件を気にしていたのですが、これはなかなか有難いです。

引用の要件を意識すると、ネタ的な挿入では使いにくかったんですよね。

「ざわ…ざわ…」のコマだけでも色々な使い方ができそうです。

 

肝心の マンガルーの使用方法はわりと簡単。

ブログやTwitterアカウントを記載した上での申請が必要ですが、申請さえ通ればあとは概ね直感的に使えます。

 

もっと利用できる作品が増えて欲しい!という要望や気になるところもあったりしますが、

そこはまだ始まったばかりのサービス。

今後の展開に期待したいと思います。

興味のある方は是非使ってみてください!

 

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ロンダニーニの黒犬を追って、地中海に思いを馳せる

「ロンダニーニの黒犬」とは何か?

「ロンダニーニの黒犬」には元ネタがあるのか?

昔からなんとなく気になっていたことなので、少し調べてみました。

 

そもそもロンダニーニの黒犬(BLEACH)とは

 

「ロンダニーニの黒犬」とは、BLEACHにおける鬼道の詠唱の一部です。

呪文みたいなものですね。

具体的には、「縛道の九 撃」の詠唱です。

全体の詠唱としては、

「自壊せよ  ロンダニーニの黒犬  一読し・焼き払い・自ら喉を搔き切るがいい」

となります。(下記画像参照)

その効果は、原作では発動しなかったため、明らかではありませんが、アニメによれば、赤い光で対象を縛るもののようです。

原作においても、縛道の一つであること、ルキアが使用しかけた状況(一護がグランドフィッシャーに捕まっている)を考えると、同じような効果だと推測されます。

 

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BLEACH久保帯人)3巻(集英社)より引用)

 

ロンダニーニってなに?

 

最初は、「ロンダニーニの黒犬」自体に何か元ネタがあるのかと思って調べてみましたが、どうもそれ自体は元ネタが見つかりそうにありません。

そこで、「ロンダニーニ」と「黒犬」に分けて考えてみることにします。

「ロンダニーニ」で調べてみると、「ロンダニーニのピエタ」というものが見つかりました。

「ロンダニーニのピエタ」は、ミケランジェロの彫刻。

ピエタ (ミケランジェロ) - Wikipedia

そもそも「ピエタ」は、「聖母マリアが、亡くなって十字架から下ろされたイエス・キリストを抱く姿の彫刻や絵画」のことを言うそうです。

(そういえば、手塚治虫の最後の作品(アイディア段階)は「トイレのピエタ」でした。)

ミケランジェロは、このピエタの彫刻を4つ制作したとされており、そのピエタの一つが「ロンダニーニのピエタ」と呼ばれているのです。

「ロンダニーニのピエタ」と呼ばれるのは、これがローマのロンダニーニ邸にあったからだとか。

スペイン語(虚、チャド)、ドイツ語(滅却師)、英語(完現術)の多いBLEACHにおいては、イタリア要素というのは珍しい気がします。

 

黒犬ってなに?

 

次は、「黒犬」です。

黒い犬(ブラック・ドッグ)については、イギリスに伝わる黒い犬の姿をした妖精。

黒妖犬、ヘルハウンド、グリムなどとも呼ばれます。

ハリーポッター魔法使いの嫁にも登場しますね。バスカヴィル家の犬もここから来ているようです。)

ブラック・ドッグの原型は、ギリシア神話の女神ヘカテーの眷属である猟犬だとされているそう。

また、ブラック・ドッグは、死や不吉の前触れとされることが多いようです。

伝承にあるブラック・ドッグではなくて、単なる黒い色の犬なのでは?という疑問もあるでしょう。

しかし、ブラック・ドッグは、一説には、口から火を吐くようで、詠唱の「焼き払い」と整合的だといえます。

 

縛道の九・撃の詠唱について考える

 

以上を踏まえて、「縛道の九・撃」の詠唱の解釈を考えてみましょう。

鬼道の詠唱は、そのまま読んでも意味がよく分からないものが多いところ、撃の詠唱は、まだ一応の意味が読み取れる方です。

すなわち、撃の詠唱を素直に読めば、

ロンダニーニの黒犬に対し、自壊することを命じ、(何かを)一読し、(何かを)焼き払い、自ら喉を搔き切(って自壊す)ることを命じている、

ということになります。

 

「自壊」は、撃の詠唱だけではなく、みんな大好き黒棺の詠唱にも出てくる言葉ですね(絶えず自壊する泥の人形)。

物である「泥の人形」はともかく、犬に自壊というのは少し違和感がありますが(語呂・語感を考えても自害で良さそう)、なぜ自壊という言葉なのかはよく分かりません。

自戒とのダブルミーニングだったりするのでしょうか…?

 

ロンダニーニは、上述のとおり、ロンダニーニのピエタから来ていることが考えられます。

ロンダニーニのピエタのような彫刻は、その性質上、音楽や演劇と異なり、静止した芸術であり(もちろん躍動感のある彫刻はありますがそれは別の話)、「撃」の効果と符合しています。

また、ロンダニーニのピエタは、ミケランジェロが、晩年に、身体の自由がきかなくなってからも作り続けた作品であり、イエス・キリストが「動かなくなった」状態の彫刻でもあり、身体の不自由という点でも「撃」との符合が見られます。

 

黒犬、ブラック・ドッグについては、死・不吉の前兆として、死の前段階である身体の不自由という「撃」の効果との一致を読み取ることができます。

 

「一読」については、何を一読するのかは明示されていません。

わざわざ言及しなくても明らかな読み物と言えば、the Bookこと聖書が思い浮かびます。

そういえば、「ピエタ」は、上述のように、キリスト教を題材とする彫刻でした。

 

「焼き払い」も、その対象が何かは明示されていません。

ブラック・ドッグが火を吐く伝承もあること、アニメによれば「撃」は赤い光を放って対象の動きを縛る縛道であることからすれば、「黒犬」が火を吐いて対象を縛る様を表しているのでしょうか。

 

「自ら喉を搔き切る」はそのままですね。

では、なぜ黒犬が喉を搔き切って「自壊」することが、「撃」に繋がるのでしょうか。

死をもたらす黒犬を死なせることで、対象を、死の前段階である身動きがとれない状態にできるのかもしれませんね。

 

以上に加えて、「『ギリシア神話にルーツを持つ黒犬が、聖書を読んで自壊する』という内容は、ギリシアの衰退とローマ帝国の繁栄を表している」というのも思いついたのですが、「撃」とは関係なくなってきているので、さすがに飛躍が過ぎるといえそうです。

 

なお、撃の詠唱は、七五調になっているところにも特徴があります。

自壊せよ(5)

ロンダニーニの(7)

黒犬(4)

一読し(5)

焼き払い(5)

自ら喉を(7)

搔き切るがいい(7)

黒犬が字足らずな以外は完全に七五調ですね。

「掻き切れ」ではなく「掻き切るがいい」にしているあたり、意図的に七五調にしているといえそうです。

「君臨者よ」(赤火砲、蒼火墜、双蓮蒼火墜)の例があるので、「黒犬よ」にしても良さそうなのですが、七五調が露骨になるので避けたのでしょうか。

 

おわりに

 

以上、「分かりません」だらけではありますが、ロンダニーニの黒犬、撃の詠唱について考えてみました。

詠唱の文言は、単にオサレな単語を並べただけ、「そこに意味は無いと知ることにすら 意味など無い」(BLEACH22巻)と言うのは簡単ですが、テクストについて考えてみるのも面白いのではないでしょうか。

 

 

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ブログに2日間で15万以上のアクセスがあった話

バグ?バズ?

 

先日、ふとアクセス解析を見ると、アクセス数が明らかにおかしなことになっていると気付きました。

はてなブログアクセス解析は、ときどき変な結果になることがあるし、また誤表示かな?と思っていたら、どうもそうではないようで…。

結果から言うと、2月18日、19日の2日間で合計15万以上のアクセスがありました。

このブログは、開設からそれまで約3ヶ月で合計11万アクセスだったので、2日間で15万アクセスというのは、異常な値だといえます。

 

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調べてみると、その原因はたった一つ。

ある方が、BLEACH用語だらけの桃太郎 の記事についてツイートしてくださり、そのツイートが大量にリツイートされていたのです。

当該ツイートは、現時点で約1万5000リツイートされています。

 

 

このツイートがされたのは、記事の公開から約2ヶ月後。

正直いって、なぜこのタイミングでそんなにリツイートされたのかはよく分かりません。

記事をアップした当時も、記事に関するツイートのがリツイートされることはありましたが、そのときはここまでリツイート数は伸びていませんでした。

また、当該ツイートをされた方のフォロワー数は、200弱なので、フォロワー数がすごく多い方に取り上げられて一気に広まった、という形とも言えなさそうです。

一つの要因としては、当該ツイートがされたのが、金曜日の午後11時台だったため、リツイート・アクセス数が土日に伸びた、ということは言えるかもしれません。

もっとも、ここまでリツイート数が伸びたのは、たくさんの人に記事を面白がってもらえたこと、運良くタイミングなどが揃ったことが原因ではないかと思います。

 

良い記事を書いたらアクセス数は伸びるのか

 

最近、良い記事を書いたのにブックマークがつかない・アクセス数が伸びない、というようなことが話題になっていました。

良い記事を書いたらブックマークがたくさんつくか、アクセス数が伸びるか、という疑問に関しては、「良い記事」の定義にも寄りますが、常にそうであるとはいえないでしょう。

誰も知らない、検索に引っかからないブログにどんな良い記事を書いても、記事の良さを知られようがないからです。

ただ、私の今回のケースは、運の良さもあるのでしょうが、私が何もしていない間に、記事を面白がってくれる人が多かった結果、アクセス数が極端に伸びた事例だったのかな、と思います。

(なお、私はそもそもtwitterすらしていません。)

 

ブログに関するアドバイスは信用できない

 

件の話題は、良い記事を書けばブックマークがつく、というアドバイスが発端のようですが、そもそもブログに関するアドバイスは、技術的なものを除いて信用できないものが多いように思います。

ブログに関するアドバイスには、見栄、建前、生存者バイアス、確証バイアスなど様々な誤りの要因が含まれていますし、だいたいがサンプル数1で再現性があるのかも分かりません。

また、アドバイスする側にとっては、もっともらしいアドバイスさえできれば良く、真に有用なアドバイスをするインセンティブがない場合も少なくありません。

漫画に引き付けると、闇金ウシジマくんの「フリーエージェントくん」編の情報商材のからくりが分かりやすいでしょう。

結局、アドバイスを盲信することなく試行錯誤するしかないのではないかと思います。

 

おわりに

 

以上、アクセス数が急増した事例の紹介とブログに関する雑感でした。

上記のツイートのRTのペースは大分落ち着いたようなので、今後は、概ね以前のアクセス数に戻ることでしょう。

まあどれたけアクセスが増減しようが収益はゼロなので、マイペースでやっていきたいと思います。


漫画ランキング記事の是非

はじめに

オススメ漫画ランキング100!みたいな記事はよく見ます。

一つの作品を紹介する記事よりも人気が出ることも多い一方、こういうタイプの記事に対する批判も目につきます。

漫画系ブログを書いている者としては、こうした賛否両論は気になるものです。

そこで、漫画ランキング記事に対する雑感を書いてみたいと思います。

 

よくみる批判について

 ランキング記事に対して、よく見かける批判・疑問としては、だいたい以下の通りでしょうか。

・長すぎて読む気がしない

・下の順位から書くな(1位から書け)

アフィリエイト目的だろ

・本当に全部読んでいるのか?

・個々の漫画についての内容が浅い

・あの漫画が入ってない(又は順位が低い)からこのランキングはダメ

SPAM

・順位付けに理由がみえない

 

なるほど、と納得して賛同できるものから、「嫌なら読まなければ良いのでは?」、「代わりに自分でオススメ記事なりランキング記事なりを書けば良いのでは?」と言いたくなるものまで、様々な意見があるように感じます。

 

個人的な考え

 個人的には、ブログに何を書こうが、公序良俗に反していたりしない限り、本人の自由だと思います。

その代わり、内容が酷ければ、読者が離れるだけのことでしょう。

 

では、果たして漫画ランキング記事は参考になるか?

これについては、ケースバイケースだと考えています。

一口に漫画ランキング記事といっても、ただ単に有名な漫画を並べたように見えるだけのものから、ランキングに一貫した書き手の好み・こだわり・選考における思想な見えるものまで様々です。

前者については、参考にならないですし、後者については参考になったり、仮にならないとしても読み物として面白かったりします。

個人的には、

・普段から記事を読んでいて信頼できるブロガーか

・個々の作品を紹介する文章が最低限の量があるか

・上位に入っている漫画や自分が好きな漫画の記載を読んでみて納得感があるか

というあたりから、参考にできるランキングかを判断している気がします。

  

おわりに

皆さんは、漫画ランキング記事、好きですか?嫌いですか?

 

 

参考までに、以前書いたランキング記事です。

kido-ari.hatenablog.com

(力を抜いて書いた記事に100ブクマ以上ついたりする一方、労力のわりにそこまでこの記事にはブクマは付きませんでした)

 

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カルトと親の宗教教育と子の自由

はじめに

清水富美加さんの「出家」に関する騒動を見たり、「カルト村で生まれました。」を読んだりすると気になってくること。

それは、親の宗教教育と子どもの自由・自己決定権との関係です。

例えば、親の子どもに対する宗教教育・指導はどこまで許されるのか、それは子どもの自由を侵害しているのではないか、とかそういう話です。

 

清水富美加さんの場合

清水富美加さんについては、親の影響がどのように働いていたかはよく分かりません。

ただ、両親ともに幸福の科学の信者であり、本人も幼い頃から教えを固く信じていたということなので、両親の教育が信仰に一定程度影響したという可能性はありそうです。

この件については、事実関係がよく分からない以上、なんとも言えません。

 

「カルト村で生まれました。」の場合

「カルト村で生まれました。」は、高田かやのコミックエッセイ。

カルト村ってどんなとこ?|カルト村で生まれました。|CREA WEB(クレア ウェブ)

所有のない社会を目指して集団生活を行う「カルト村」。

(明言はされていませんが、作中の描写は、「ヤマギシ会」に近いようです。)

そこで育った著者が、幼少期を振り返って描いた衝撃的な作品です。

続編の「さよなら、カルト村。思春期から村を出るまで」もあります。

こちらについては、親の影響はもっと分かりやすいところ。

両親が「カルト村」にいた著者に、カルト村以外で生活する選択肢はありませんでした。

 

親の宗教教育

ここからが本題です。

親の宗教教育はどこまで許されるのか。

抽象的に考えると、

・親が子を洗脳するようなことをしてはいけない

・子の信仰は、子の自由意思に任せるべき

ということは言えるでしょう。

抽象的には、ここまでは異論はあまりなさそうです。

 

しかし、どこまでが教育なのか、どこまで子どもの自由意思というのが存在するのかは難しいような気がするのです。

例えば、私の両親は、初詣として神社にいき、仏教式の葬式をし、クリスマスには子どもにサンタが来ると教えてこれを祝い、宗教を聞かれたらおそらく仏教徒と答えるであろう、(日本によくいそうな)信仰心のそこまであつくない仏教徒です。

私は、この両親の元で育ち、同じような信仰心を持つに至りました。

(といっても、神仏を意識するのは、腹痛のときくらいのものなので、大分信仰心は薄いかもしれませんが…。)

このような私の信仰の状況が、全て自分の自由意思によるものとはあまり思えません。

私の信仰心は、両親からの教育、周囲の環境、個人的な経験など様々からなっており、その中でも両親からの教えは大きいような気がするのです。

他の条件が同じで、両親が信仰心の薄いキリスト教徒であれば、私も同じように信仰心の薄いキリスト教徒になっていたかもしれません。

別に、私が両親に洗脳されたとかそういうことを言いたいわけではなく、親の影響力の元で、子どもの自由意思というのは、どこまで発揮できるのか?ということが言いたいのです。

ある程度成長してからはともかく、幼少期は、親の言うことが絶対のようなところもありますから、親の教育から離れた子どもの自由意思というものをどこまで想定できるかは疑問です。

また、例えば、「カルト村」の両親が、その思想のもとで、子どもに自由に思想を選ばせようと思ったらどうすれば良いのか、というのは、なかなか難しい問題のような気がします。

 

現時点での印象

そもそも、問題設定すらあやふやで、考えがまとまっていないところではあるのですが、漠然と考えているのとを書いてみます。

一言で言えば、ケースバイケースなのでしょう。

個々のケースにおいて、判断要素になりそうなのは、以下のとおりです。

・子どもの年齢

(子どもの年齢が高いほど批判能力があり、親以外と接する機会もあるので、一定の偏った教育も許容しやすく感じます。)

・教育の内容、態様

(他の考えを一切許さなかったり、信仰しないと悲惨な目に会う、といった教育には問題がありそうです。教育と洗脳の違いもここで出てくるのでしょう。また、宗教色の薄い、道徳的な教えは許容されやすそうです。)

・宗教の種類

(カルトと言われている宗教に関する教育は許容し難い印象があり、なんとなく伝統的な宗教だとより許容しやすい気がします〔それで良いのか?という問題もありますが〕)

 

はなはだ漠然とした考えではありますが、何か上記の考えについてご意見があれば伺いたいところです。

 

「カルト村で生まれました。」の面白さ

本題からは外れますが、「カルト村で生まれました。」「さよなら、カルト村。思春期から村を出るまで」をもう少し紹介しましょう。

著者は、既に村を出ており、「カルト村」の思想は持っていないようですが、かといって「カルト村」を激しく糾弾するわけではなく、どこかほのぼのタッチで村が描写されます。

ただし、その内容は、懲罰として食事抜きや体罰(髪の毛を掴んで壁に打ち付けるなどが日常的に行われていたり、物の私有が禁止されていたり、集団生活でシラミがわいてDDT散布が行われたり、と衝撃の連続です。

(読んでいると忘れそうになりますが、平成に入ってからの話です。)

このタッチなのは、真面目に描き出すと内容が重すぎるという配慮なのかもしれません。

著者は、十分に食事を与えられていないので、いつもお腹を空かせているのですが、それでもお供え物には手を出さなかったり、祖母の家でも母親の顔を立てるために我慢したりといった描写が切ないです。

著者はそこまで村に批判的ではないのに対し、ところどころで、著者の夫が批判的なツッコミを入れるところもなかなか面白いところ。

(しかし、その夫のツッコミを漫画に描いているのもまた著者なんですよね。)

続編では、中等部・高等部などの生活から著者がカルト村を出るまでが描かれます。

村から出ることを決意するあたりは、そこはかとなく、トゥルーマン・ショーを思い出しました。

「カルト村で生まれました。」しか読んでいない方は、続編も是非読んでみてください。

 

※「カルト」という言葉自体、多義的なものです。この記事は、特定の宗教をカルトであると断言する内容ではありません。念のため。

 

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