今にも崩れそうな本棚の下で

漫画の感想を書いたり書かなかったりします。

私が右も左も(文字通り)分からなかった頃の話

視力検査を恐怖に感じたことはあるだろうか?

私は、ある。

 

小学生の頃、私は、どちらが右で、どちらが左なのか区別することができなかった。

このような状態を「左右盲」と呼ぶと知ったのは、ずっと後のことだ。*1

 

左右盲の原因は分からないが、俗に、左利き、中でも左利きを右利きに矯正した人に多いという。*2

左右を最初に学ぶときに、「おはしを持つ方が右」という教え方をされ、左利きが混乱して左右盲になりやすい、という俗説もある。

因果関係は不明だが、私も、左利きから右利きに矯正した1人だ。

 

原因がどこにあるにせよ、私は、そんな小学生だった。

左右盲と呼ばれる人の中にも、左右がおよそ分からない人もいれば、左右の判別が普通の人より一拍遅れる程度の人もいる。

小学生の頃の私は、どちらかといえば前者に近い方であった。

日常生活においては、だましだまし、なんとか暮らしていた。

おそらく、周囲の人間のほとんどは、私が左右を分からない、ということに気付いていなかっただろう。

困ったのは、視力検査である。

視力検査においては、Cのようなマーク(ランドルト環)の切れ目の方向を答えなければいけない。

左右盲にとっては、左右のどちらに切れ目が開いているか分かったとしても、それが左なのか、右なのかが分からないのだ。

私は、当てずっぽうで左右を答え、本来の視力よりも、はるかに低い結果を出したりしていた。

 

今なら、いくらでも解決策が分かる。

検査の直前、友達や係の人に、左がどっちか確認するとか、

時間がかかったとしても、お箸を持つ手がどちらか考えて覚えておくとか、

左右でなく指差しで答えるとか。

それでも、当時は、そんなことは考えられず、当てずっぽうで答えていた。

そんなことをしていた原因は、(私が浅はかでもあったのだろうが、)左右盲であることへの恥ずかしさや諦めがあったようにも思う。

私は、左右盲であることを、親しい友達にも、家族にも言えないでいた。

何せ、文字通り、右も左も分からないのだ。*3

私は、自分がひどくダメな人間のような気がしていた。

視力検査は、私が隠している欠陥が暴かれかねない恐ろしいイベントだった。

 

やがて、あるとき、私は、この問題への解決策を生み出す。

頭の中で「左右」という単語を横書きで思い浮かべて、「左」の字があるのが左側、という確認方法である。

左右盲でない人にとっては、「何言ってるんだこいつ?」と思われるかもしれないが、この方法は私にとって画期的だった。

箸を中途半端に両方の手で使えてしまう私にとって、「お箸を持つ側の手」は必ずしも自明ではないし、考えるのにも時間がかかる。

それに対し、この方法なら、一瞬のうちに、左右を思い出せるのだ。

この対策を考えついて以来、私は、自分が左右盲であることをあまり意識しないで生活できるようになった。

(それでも、判断に一拍は必要であり、上下が瞬時に判断できるレベルでは判断できない。

その意味では、私はまだ左右盲ではあるといえるだろう。)

 

左右盲という言葉があること、自分と同じような人もたくさんいるということを知ったのは最近のことだ。

それらの事実を知っていれば、もう少し、小学生時代の息苦しさは楽になっていたかもしれない。

 

この話は、増田(右手がどっちかわからない)を読んで思い出した単なる思い出話だ。

そこに、何か示唆や教訓があるわけではない。

それでも、ネット上の左右盲に関する文章を、もう1つ増やすことに、少しは意味があるんじゃないかと思って、これを書いた。

 

おわり

 

*1:なお、左右盲というのは、俗語的な言い方であって、学術的には、左右失認や左右識別障害というようである。

*2:なお、左右失認を1つの特徴とするゲルストマン症候群というものもあるようである。

*3:この言い回しは別に左右盲のことを指しているわけではないだろうが。