カルトと親の宗教教育と子の自由
はじめに
清水富美加さんの「出家」に関する騒動を見たり、「カルト村で生まれました。」を読んだりすると気になってくること。
それは、親の宗教教育と子どもの自由・自己決定権との関係です。
例えば、親の子どもに対する宗教教育・指導はどこまで許されるのか、それは子どもの自由を侵害しているのではないか、とかそういう話です。
清水富美加さんの場合
清水富美加さんについては、親の影響がどのように働いていたかはよく分かりません。
ただ、両親ともに幸福の科学の信者であり、本人も幼い頃から教えを固く信じていたということなので、両親の教育が信仰に一定程度影響したという可能性はありそうです。
この件については、事実関係がよく分からない以上、なんとも言えません。
「カルト村で生まれました。」の場合
「カルト村で生まれました。」は、高田かやのコミックエッセイ。
カルト村ってどんなとこ?|カルト村で生まれました。|CREA WEB(クレア ウェブ)
所有のない社会を目指して集団生活を行う「カルト村」。
(明言はされていませんが、作中の描写は、「ヤマギシ会」に近いようです。)
そこで育った著者が、幼少期を振り返って描いた衝撃的な作品です。
続編の「さよなら、カルト村。思春期から村を出るまで」もあります。
こちらについては、親の影響はもっと分かりやすいところ。
両親が「カルト村」にいた著者に、カルト村以外で生活する選択肢はありませんでした。
親の宗教教育
ここからが本題です。
親の宗教教育はどこまで許されるのか。
抽象的に考えると、
・親が子を洗脳するようなことをしてはいけない
・子の信仰は、子の自由意思に任せるべき
ということは言えるでしょう。
抽象的には、ここまでは異論はあまりなさそうです。
しかし、どこまでが教育なのか、どこまで子どもの自由意思というのが存在するのかは難しいような気がするのです。
例えば、私の両親は、初詣として神社にいき、仏教式の葬式をし、クリスマスには子どもにサンタが来ると教えてこれを祝い、宗教を聞かれたらおそらく仏教徒と答えるであろう、(日本によくいそうな)信仰心のそこまであつくない仏教徒です。
私は、この両親の元で育ち、同じような信仰心を持つに至りました。
(といっても、神仏を意識するのは、腹痛のときくらいのものなので、大分信仰心は薄いかもしれませんが…。)
このような私の信仰の状況が、全て自分の自由意思によるものとはあまり思えません。
私の信仰心は、両親からの教育、周囲の環境、個人的な経験など様々からなっており、その中でも両親からの教えは大きいような気がするのです。
他の条件が同じで、両親が信仰心の薄いキリスト教徒であれば、私も同じように信仰心の薄いキリスト教徒になっていたかもしれません。
別に、私が両親に洗脳されたとかそういうことを言いたいわけではなく、親の影響力の元で、子どもの自由意思というのは、どこまで発揮できるのか?ということが言いたいのです。
ある程度成長してからはともかく、幼少期は、親の言うことが絶対のようなところもありますから、親の教育から離れた子どもの自由意思というものをどこまで想定できるかは疑問です。
また、例えば、「カルト村」の両親が、その思想のもとで、子どもに自由に思想を選ばせようと思ったらどうすれば良いのか、というのは、なかなか難しい問題のような気がします。
現時点での印象
そもそも、問題設定すらあやふやで、考えがまとまっていないところではあるのですが、漠然と考えているのとを書いてみます。
一言で言えば、ケースバイケースなのでしょう。
個々のケースにおいて、判断要素になりそうなのは、以下のとおりです。
・子どもの年齢
(子どもの年齢が高いほど批判能力があり、親以外と接する機会もあるので、一定の偏った教育も許容しやすく感じます。)
・教育の内容、態様
(他の考えを一切許さなかったり、信仰しないと悲惨な目に会う、といった教育には問題がありそうです。教育と洗脳の違いもここで出てくるのでしょう。また、宗教色の薄い、道徳的な教えは許容されやすそうです。)
・宗教の種類
(カルトと言われている宗教に関する教育は許容し難い印象があり、なんとなく伝統的な宗教だとより許容しやすい気がします〔それで良いのか?という問題もありますが〕)
はなはだ漠然とした考えではありますが、何か上記の考えについてご意見があれば伺いたいところです。
「カルト村で生まれました。」の面白さ
本題からは外れますが、「カルト村で生まれました。」「さよなら、カルト村。思春期から村を出るまで」をもう少し紹介しましょう。
著者は、既に村を出ており、「カルト村」の思想は持っていないようですが、かといって「カルト村」を激しく糾弾するわけではなく、どこかほのぼのタッチで村が描写されます。
ただし、その内容は、懲罰として食事抜きや体罰(髪の毛を掴んで壁に打ち付けるなどが日常的に行われていたり、物の私有が禁止されていたり、集団生活でシラミがわいてDDT散布が行われたり、と衝撃の連続です。
(読んでいると忘れそうになりますが、平成に入ってからの話です。)
このタッチなのは、真面目に描き出すと内容が重すぎるという配慮なのかもしれません。
著者は、十分に食事を与えられていないので、いつもお腹を空かせているのですが、それでもお供え物には手を出さなかったり、祖母の家でも母親の顔を立てるために我慢したりといった描写が切ないです。
著者はそこまで村に批判的ではないのに対し、ところどころで、著者の夫が批判的なツッコミを入れるところもなかなか面白いところ。
(しかし、その夫のツッコミを漫画に描いているのもまた著者なんですよね。)
続編では、中等部・高等部などの生活から著者がカルト村を出るまでが描かれます。
村から出ることを決意するあたりは、そこはかとなく、トゥルーマン・ショーを思い出しました。
「カルト村で生まれました。」しか読んでいない方は、続編も是非読んでみてください。
※「カルト」という言葉自体、多義的なものです。この記事は、特定の宗教をカルトであると断言する内容ではありません。念のため。