終末・絶望・ディストピアと隣り合わせの日常を描く漫画など
終末や悲劇が間近に存在しつつ、一見普段と変わらないような日常を送る、という漫画が多いような気がします。
もともと終末モノというのは、ジャンルとして確立されていますし、気のせいかもしれませんが…。
仮に上記のような作品が多いのだとすると、東日本大震災以降の日本の状況・空気が影響しているのかもしれません。
終末と隣り合わせの日常というと、「心地よい破滅」というのが少し似た概念です。
「心地よい破滅」とは、wikipediaによると、
「我々の文明が崩壊し、一握りの生存者を除いてばたばたと人が死ぬ絶望的な状況にもかかわらず、主人公ら生存者たちは遠く離れた安全地帯にいて災厄を傍観していたり、無人の都市で残されたぜいたく品をあさるなどある面で楽しい冒険をしたりし、最終的には自分たちの文明観をもとにささやかなコミュニティを再建して、破滅の起こった原因や文明が滅んだ原因に対して達観した立場から考察を加える、というもの」
とのこと。
ネビル・シュートの小説「渚にて」は、この「心地よい破滅」の小説の一つのようです。
なぎさにて(新井英樹)
タイトルは上記の小説からとられたものだと思われます。
人類発祥の地ケープタウンに突然生えた巨大な豆の木。
この木が破裂し、その樹液(サップ)を浴びた半径20km圏内の人々は即死。
サップを浴びなかった周囲の人々も、土地に染み込んだサップの影響か癌などで大量に死亡した。
豆の木は、人類の広がりをなぞるように全世界に広がりはじめ、やがて、日本にも出現した、というストーリー。
いつの日か豆の木が破裂して世界が終わりになる予感を持ちながら、主人公の女子高生渚は、「今日一日を、瞬間瞬間を100%で生きよう」と決意する。
そんな渚と家族の物語。
分かりやすく人類がパニックになるわけではなく、戸惑いながらも状況を受け入れたり、諦めたり、少しおかしくなったりするところが震災後の日本的に思えます。
(世界の終わりと隣り合わせの日常。なぎさにて・第1巻)
デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション(浅野いにお)
上記の記事でも挙げましたが、デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション。
突如、東京の上空に「母艦」と呼ばれるUFOが到来し、そこから小型の宇宙船に乗った「侵略者」と呼ばれる攻撃が始まる。
侵略者は、米軍によって迎撃され、いまでは自衛隊と侵略者との小規模な戦闘が起きるだけになった世界。
この世界を舞台にした2人の少女の「デストピア青春日常譚」。
母艦襲来が8月31日で「8・31」と呼ばれたり、米軍の爆弾によって「A線」の汚染が取り沙汰され、避難する人が出たりと東日本大震災を想起させる内容も多いです。
(空に巨大なUFOが常駐する日常。デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション・第1巻)
あげくのはてのカノン(米代恭)
ゼリーと呼ばれる異星人の侵略が進む世界での「無軌道SFラブストーリー」。
意中の人の声をこっそり録音したりする、ストーカー気質の主人公による不倫SF漫画です。
終末のハーレム(LINK、宵野コタロー)
上3作とは大分毛色が違いますが…。
ウイルスによって地球上で活動可能な男性が5人になった世界でのSFハーレム漫画。
少年ジャンプ(正確にはウェブ媒体の少年ジャンプ+)にしては内容がきわどいと話題になりました。
少女終末旅行(つくみず)
終末世界を2人で旅する少女の日常。
この世界の片隅に(こうの史代)
最近というほどではないですが、映画化で話題なので挙げました。
戦時の日常というところで共通する部分があるように思います。
誰でもないところからの眺め(いがらしみきお)
震災数年後の宮城県を舞台に、震災後の不安や自己とは何かを描く作品。
震災そのものを描いたものは、フィクション・ノンフィクションともにたくさんあり、原発については、「いちえふ 福島第一原子力発電所労働記」などもありますが、それ以外にも色々な作品が生まれているようです。
震災以前の作品だと「ヨコハマ買い出し紀行」「地球の放課後」なんかが上記の各作品に似た雰囲気かもしれませんね。
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